ある日 2
ある日

「楽しそうだな、私も混ぜてくれ」

窓からいきなり顔を出してやった。連中がどよと驚く。
「たっ隊長〜、聞いてたんすか」
と、フランソワ。聞くも聞かないも場所を考えろ。
「この残暑で窓は全開、そして此処は私の執務室の壁際。
更に言えば月末に付き、私はしばらく缶詰だ。
知らぬわけではあるまい。」
「聞いてやってくださいよ、こいつったら身の程知らずも
はなはだしい暴挙に出たんっすよ」
ピエールがフランソワの制止を振り切って進言する。
「こいつの惚れた娘っ子ってのがあのポルシュロンに
新しく出来たキャバレーの踊り子…」
大きな手が伸びてきてピエールの首根っこをむんずと
掴む。アンドレだ。
「よーし、もう充分だ」
「なんだよ、ちぇーっ!」

むくれるピエール。
バツの悪そうにしているフランソワの薄く日に透ける
銀髪をアンドレがくしゃくしゃとかき回した。

あんな風にあいつが私の頭をかき混ぜなくなってから、
どれ位経ったろうか。長くてしなやかな指が髪の間に
入り込み、包み込むあの暖かくて懐かしい感触は、
今でもしっかりと記憶に刻み込まれている。つん、と
何かが胸を刺した。まあ、いい。
気を取り直して、突っ込みを入れてみる。

「後、もう一押しとはおまえもなかなか隅に置けないな、フランソワ」

「もう一押しどころか、こいつらのやってることと来たらまるでガキのままごとみたいで
やってらんねえったらこの上ないね。おい、俺が口説いて見せてやるから、その店に行ってみようじゃないか。」
慌てて睨みをきかせるフランソワの背後でぷっと噴出したアンドレを、アランは見逃さなかった。

「何が可笑しい、アンドレ」
「いや、俺も是非行きたいな。おまえが女性を口説くところ、見てみたいよ」
「アランはね、何も言わないでただ実力行使するだけなんだ、絶対店は教えない!」
「なーにが女性だ、気取りやがって!そうやって上品ぶってるからおまえは何時までたっても
女に不自由してるんだよ、おい、フランソワ、おまえもこんなやつに倣っていたら一生日照り続きだぞ」

聞き捨てならんな、アラン。
この男所帯では分かりづらいかもしれんが、こいつは魔性の男だぞ。
ヴェルサイユでさしたる敵も作らずに数多の御婦人のお誘いを
さらりとかわすのはかなりの高度な技術を要するのだ。
それをこいつは無意識の内にやってのける。
こいつに玉砕した御婦人方は、その笑顔と屈託のなさに恨んだり、
嫉む気を無くしてしまうらしいのだ。

時々、私が水を向けると、おまえは
『彼女らが注目しているのはおまえだろ』
と、笑うが、わたしを隠れ蓑におまえを見つめる目は決して少なくはなかった。

「こいつはな、アラン、見かけによらず手足れだぞ」
アンドレが目をまん丸くして私を見た。
そらみろ、全く自覚が無い処が魔性なんだ。
ちょっと釘を刺して置くか。

「こいつの御婦人方の扱い方は、そん所そこらの青二才の貴族の御曹司の比ではない。
フランソワ、おまえの人選は正しい」
「おいおい、一体何を言い出すんだ」
「だが、反面見当はずれとも言える。こいつは自分の言動が女心にどう響くか分かっちゃいない。
その点は気を付けろ」

「女心〜〜〜!!」
見事なカルテットで反応が返って来た。変なところで気の合うやつらだ。
しかし、私も言ってから驚いた。女心。 私に先の台詞を言わしめたものはそれか。
「なんだその意外そうな顔つきは」
アンドレは毒気を抜かれた顔で苦笑し、
フランソワは何かピンと来たようだ。こいつは若いが、なかなかいい勘をしている。
アランはけっと横を向いた。こいつも察しは悪くない。
何かと嗅覚が効くから突っかかって来るのだ。

どやどやと、兵士達が埃を巻き上げながら
引き揚げて行くのを見送りながら、
後に残ったアンドレがちょいちょいと私を手招いた。
「おい、オスカルちょっと耳貸せ」
「なんだ?」
「あのな…」
窓から身を乗り出して顔を寄せる。

「…綺麗だ…オスカル」

いきなり吐息が耳に懸る距離で囁く。
おまえの唇に触れている髪が、唇の動きを振動で伝えて来て、
心臓がでんぐり返った。

「え…」
慌てて身体を窓から引っ込めようとして、
しっかりと手を握られているのに気がついた。
途端握られた手から、血潮が濁流となって逆流する。どうしよう、
膝がかたかたと音を立てて震えているのが聞こえるようだ。
動けない!

「たった一晩が俺には千夜一夜にも思えた。
だがおまえに会えなかった夜が、今日のおまえを一層
美しく見せてくれる。俺はアポロンを追い続けて
向日葵に姿を変えたクリュティエになりたい」

み、耳に唇が触れそうで触れない距離まで近づいて来て、
な、なんてことを言うんだ!

「ア……!」
「おっと、大声を出したり不自然な行動を起こすと
変に思われるぞ、まだ近くに人が…」
なんなんだ、急にがらっと調子が変わった。
「さっきはよくも誤解を招くようなことを言ってくれたな〜!」
な、なにい!?
「参ったか! リベンジ、成功!あ、向うからユラン伍長が来たぞ、
くれぐれも自然に振舞えよ、…ということだ」

  リベンジだと〜っ!やられた!
さっきとは違った感覚の熱い流れが全身を巡った。
だが此処では怒鳴るわけにも行かないじゃないか。
おまえときたらまだ手を握ったまま、
可笑しくてたまらないといった顔でご満悦だ。
「それで…だ」

「待て、その続きはここじゃ…」
やっとの思いで言葉を搾り出す。覚えてろ。
場所を変えてたっぷり礼をしてやる。
「…じゃあ、そっちへ行くよ」
おまえが手を離した。…なんだか急に切なくなった。
「そうしてくれ…」
さあ、来い。遺言状を書くくらいの時間はくれてやる。

窓越し
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