難波の恋の物語
〜Belle Epoque〜よき時代26〜30+おまけ

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よき時代 ちょっとおまけのページ。
本当に大雑把なのですが、今回の行先付近というところです。大阪から神戸方面には大きく見て3つの鉄道がありまして、北(山側)から南(海側)に向かって阪急、JR、阪神と離れたりくっ付いたりしながら並行して走っています。その合い間に国道が何本かまた走っていまして、海と山の狭い間を何本もの道路や鉄道が走っている形です。 今だったら急行、特急で大阪から神戸までだいたい半時間くらいというところでしょうか。
よき時代
よき時代 阪急電車といえばあずき色で、この絵よりも赤みのある濃い色です。これはマルーン色というそうです。英語のmaroonは「くり色、えび茶色」という意味ですが。 路線にも寄るようですが、開業当初からこの色合いは続いているらしいです。
「御影」は「みかげ」です。

「あこ行こ、ここ行こ」は「あそこへ行こう、ここへ行こう」の関西弁的色合いの表現です。
よき時代 この公会堂の絵は現在のをモデルにしておりまして本当に概略ですが、基本的には建設当時の姿を残しているものだそうです。
これは昭和8年築、内装はいろいろなスタイルのデザインが見られるそうです。アンドレ君の「昭和の公会堂は…」は、 中之島の公会堂が明治時代のものでかなり様式が異なっているということを言っております。
大阪〜神戸の阪神間は、かの小林一三氏の斬新なる種々の構想、阪神や阪急電鉄の開通などもあって住宅地としてもどんどん発展していました。 当時既に商業・工業化が進みつつあった大阪市街地から離れてこちらへ居を構えるようになった人も結構いたようです。 既に仕事場のある街中と住居のある郊外というスタイルができつつあったようですね。
邸宅の図は、一応当時、この阪神間にいろいろと見られた洋風建築を元にしております。
御影公会堂のあたりは、あの「火垂るの墓」の舞台になったところです。空襲で受けた被害は、戦後に修復されました。
よき時代 大阪の公会堂と同様、こちらの食堂も建設当時からの老舗食堂で、大変有名です。やはりオムライスは定番らしいです。
これは現在のものをモデルにしていますが、基本的には変わっていないそうです。 公会堂の設計は清水栄二という、当時この周辺の小学校を多く手がけた人です。
食堂は、今なら「レストラン」という方が雰囲気には合っている感じです。レトロ感たっぷりで、多くのファンを持っています。
戦争を経て、あの震災にも負けずに立っている姿に、よりいっそうの歴史を感じます。
よき時代 最後のお隣のおばちゃんの「ほんに」は「本当に」です。
よき時代 この時代には、神戸の市バスや阪神バスなどが既に開通していました。市バスや阪神電車から六甲ケーブルへの連絡切符なども作られていて、 六甲が観光地としての位置付けになっていたことが伺えます。よく分からないのですが、大阪梅田から六甲山まで片道1円弱くらいだったようです。 あと、有馬や摩耶山(まやさん)へ回る切符などもありました。
この土橋駅というのがケーブルの始発駅で現在の六甲ケーブル下駅です。この駅の実際の姿ははっきりわからなかったので、ここに描いているのは 分かっている範囲だけです。
六甲山駅(現在の六甲山上駅)は、当時の姿を残しているそうなのですが、下の駅は昭和初期(設定としてはこのなに恋の3年くらい後かな?)の 阪神の大水害で壊滅状態になってしまい、その後も建て直しなどがあって、現在は山荘風の姿になっています。

もうひとつ、こいさんの「生駒(いこま)」というのは、大阪と奈良の県境にある山のことです。 こちらもかなり開発されている山でして、同じく夜景を見るには絶好の場所であります。
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