〜 O 嬢 の 画 策 の 後 始 末 〜       by おれんぢぺこ様

慎重に――。
王族からの下賜物を当主の元に届ける時でさえこれほど丁寧に扱ったことはない、などと恐れ多い事を思いながら、アンドレは慎重にワゴンを押した。
ティーポットは、最近の主の気に入りの白磁。茶葉はオレンジペコ。この茶葉の特長をアンドレは既に会得していた。苦みが少なく、ストレートで飲むにはうってつけだ。レモンを厚めにスライスして砂糖漬けにした物を別皿に準備した。アレンジもしやすい。少し濃く入れてミルクティーにするのも良いだろう。用意周到。その為の牛乳をピッチャーに準備しておくことも忘れなかった。
厨房からそっと持ち出したケーキ用のナイフとサーバー。ポットと合わせた白磁の皿。銀のフォークの柄にはオスカルの誕生日花・ホーリー(西洋ヒイラギ)が彫り込んである。



いつになく緊張しているのが自分でも分かり、アンドレはおかしかった。


オスカルの部屋の大扉の前で、まず身嗜みを整える。スーハ―と深呼吸をしてみる。扉を叩こうと軽く握った右拳を一度下ろした。ワゴン車の下段に置いた包みと箱を確かめた。
「入れ……」
ちょっとハスキーな低い声が入室を許可する。気に入りの部屋着を羽織った主が扉近くの応接セットの椅子に腰かけ、アンドレの訪室を待ちわびていたことはすぐに分かった。日頃はノックしたところで許可の声がすぐに届く事などない。少しの間を置き、アンドレは様子を伺いながら扉を開け主に呼び掛けるのが常だった。それが今は間髪入れずにノックに応じた。己を待っていたわけではないと、アンドレは自分に言い聞かせながら足を踏み入れた。
適温に暖められた部屋。暖炉の辺りにはオレンジの灯りが薄ぼんやりと輝いている。
オスカルは椅子から立ち上がると腕を後ろで組み数歩そのまま後ろ向きに歩きながら、音も立てずにワゴンを押す幼馴染の優雅な仕草に一瞬見惚れる。くるりと正面を向き、暖炉の前に予めセットさせておいた丸い小テーブルを回り込み長椅子に腰かけた。


アンドレは慣れた手順でテーブルの上に皿や茶器を並べる。そして、ちょっと屈んでワゴン車の下段の物を取る。
次には、帰宅途中の馬車の中で勇気をふりしぼって渡した手作りのクラシック・ショコラの箱をアンドレはテーブルの上に置く……と思っていたオスカルは、面食らう。

「オスカル、これ……」
アンドレは、少々照れ臭そうにオスカルの前に差し出す。
「おまえがくれた物に比べると、何とも情けないんだが……いちおう、ヴァランタンの贈り物」
オスカルは、大きな青い瞳がこぼれ落ちんばかりに見開き、
「忙しかったのに……いつの間に、こんな準備を……」
「いつも何かとお疲れの隊長殿に……」
その顔は、幼い頃と変わらない柔和な微笑みを湛えていた。小ぶりの紫がかった巾着のようなラッピングを、オスカルはそっと紐解く。
「えっ……?」
意味が分からないと言いそうになり、何とか口を閉じた。
「これは……」
誰か『女性』用に準備した物を間違えて持って来たのではないだろうかと数秒は固まっていた。しかし、アンドレの方に全く慌てた様子がない事で、オスカルはそれが自分用のプレゼントだと確信した。だが、去年のヴァランタンの贈り物はなかなかの希少価値のコニャックとそれに合うグラスだったし、その前年は……と思い出してみたが、いずれも酒や銃に関する物だったはずだ。それらに比べると、と思いを巡らせているオスカルの様子に、
「気分を害したかな?」
アンドレは、慎重に顔を覗き込んで来た。
「いや……。そうではなくて……」
透明なガラス瓶に入ったバスソルトが2本。1本は定番のヘイフラワーであることはオスカルにも分かった。もう1本は、何だろうと手に取って見る。その様子に満足したようにアンドレは、
「ヘイフラワーはまず外れがないだろう? もうひとつの方はおまえ用のオリジナルだ。頼んで作ってもらった」
そう言い、馴染みの調香師の名を出した。それならば、大丈夫だろうとオスカルも頷く。
「使ってみて気に入ったら、連絡すれば同じものが手に入るようにしてあるから……」
アンドレは、満足げに微笑んだ。しかし、とオスカルは3つ目のガラス瓶に今度こそ本当に困り果ててしまった。
ランタンの形を模した深い赤のポンプタイプの掌に載るほど小さなアトマイザー。
これは、誰が使うのだ?
目がそうアンドレに問いかけた。アンドレは、
「こっちの方の中身は、空っぽだ」
そう言われ、オスカルはアトマイザーを初めて手に取る。
「思いつかなかった、と言うのが正直なところかな」
照れたように笑う幼馴染の表情が、暖炉の火に照らされぼんやりした。

「衛兵隊に移ってからのおまえは激務続きで正直辞めてしまった方が楽なんじゃないかと思う事もあった」
そう言い、一旦正面のオスカルを見つめ、
「でも。大変なんだけど、色々苦しいんだけど……仕事をしている時のおまえの神々しいまでの輝きは横で見ていても何やら嬉しいし……それに……」
アンドレは再び言葉を切った。だが、変な意味じゃないぞと言い訳しながら続けた。
「たぶん髪なんだと思うが、おまえが動く度にふわっと香る香料が、やっぱりオスカルは女性だったんだって認識させられ……」
言いかけて、

「失言だな」

肩を竦めた。
「ああ、それでは普段の私は女ではないみたいだ」
「失礼いたしました、お嬢様。そんなわけで、アトマイザー。気に入ったコロンがあったら使ってほしいな、なんて思った次第でございます」
そう言い、わざと慇懃に腰を折って見せた。そして姿勢を正すとすぐにクラシック・ショコラの箱をテーブル上に載せた。
「ご相伴に与かります」
アンドレは言いつつも、ティーポットに湯通しする。
「違うだろう、アンドレ。それは、おまえの物だ」
オスカルは笑いながらもアンドレの手元を見遣る。ああ、そうだったとアンドレが笑っている。茶葉をティーポットに入れ湯を注ぎ3分ほど蒸らす。たったそれだけの作業なのに、なぜアンドレが行うとこんなにも優雅なんだろう、とオスカルは見入っていた。
蒸らしの時間でケーキを切る。アンドレがナイフを手にし、暖炉の火にかざした途端にオスカルはハッとした。
「アンドレ……」
思い出して、この世の物とは思えないほどの情けない声を出す。
「ん?」
「あのな……今、思い出したんだけど……」
「何?」
「卵の……殻が……」
「えっ!? 何だって? 聞こえなかった」
 卵の殻が入っているかもしれないっ!! 
「えっ!? ああ……」
さほど驚かないアンドレに、オスカルは逆に驚く。
「アンドレ!」
「今度は、何?」
「おまえ、想定内だったな?」
「卵の殻……?」
「そうだ。私の事だから、そのくらいのことは当然あるだろうと思っていただろう?」
「いや……。当然とは言ってないだろう? だがな、オスカル……おまえが皆の分とは別に俺の為だけに作ってくれたんだから、卵の殻なんか何てことないさ。フランソワじゃないけど、たとえ消し炭でも俺はいただくよ」
冗談のように聞こえ、しかしさりげなくオスカルの気持ちを和らげつつ、アンドレは本音を上手に伝えた。
「アンドレ……」
そう言われると、何も言い返せない。喋りつつもアンドレは既にケーキを切り分け、二つの皿に盛る。紅茶もそろそろ良いだろうと、いつの間に暖めたのかティーカップをセットした。

「隣に座っても良いかな?」
わざわざ断るアンドレの様子がおかしく、オスカルは黙って頷いた。
「ありがとう、オスカル。本当に……」
さりげなく紅茶に手をつけるオスカルに、アンドレは今日何度目かのありがとうを伝えた。
同じように紅茶を飲み、ケーキに手を伸ばそうとした瞬間、
「ダメだ、アンドレ」
オスカルが制する。
「やはり"お毒見"だ。まず、責任上、私が食べてみる」
「えっ!?」
アンドレはためらったが、黙ってオスカルに従う事にした。
オスカルは自分の目の前の、綺麗な二等辺三角形に切られたクラシック・ショコラのとんがりにスーッとフォークの先端を通した。『Chaleureusement(心をこめて…)』と書かれた中央部分、オスカルが掬った所に二つの生クリームの文字が載っかった。
初見の物を口にするかのように深呼吸してからオスカルはそっとそれを口に運んだ。
「……うん……」
物を食む顎の動きさえ美しいものなんだとアンドレは、すぐ横の幼馴染を見つめていたが、その優雅な動きから今度は言葉が発せられ、我に返った。
「うん、味は確かにマダム直伝だけあるな」
ほっと胸を撫で下ろし、オスカルはもう一度ケーキを掬った。アンドレはまだお預けを食らったままなのかと、ちょっとがっかりする。が、
「ほら、食べてみろ!」
眼の前に、今掬ったばかりのケーキをオスカルが差し出した。 「えっ!?」

食べてみろって……えっ!?

アンドレは思いっきり動揺する。たった今自分の口に運んだフォークを、オスカルはアンドレの口にグイグイと近づけて来る。
「ちょっ……ちょっと、オスカル……」
アンドレは慌てて身を引くが、オスカルは、
「大丈夫だ、ちゃんと食べられる」
更に微笑みを重ねた。
自分の言動の危うさが全く分かっていない無防備な幼馴染に溜め息を吐く。そうだ、分かっていないからこそこんな事ができるのだと、自分に寄せてくれる主の信頼に情けなささえ覚えながら、半ばやけくそになりながら、そっと口を開けた。
オスカルは微笑みを絶やさないまま、フォークをアンドレの口に入れた。
「あ……」
ケーキが口に入った瞬間に芳醇なブランデーの香りを感じた。やや硬い層を噛み砕くと流れるようなショコラの塊が口いっぱいに広がった。アンドレは2度3度と咀嚼し、おいしい、と呟いた。が、
「あ……」
先ほどとは、まったく違うニュアンスで驚きの言葉を発する。


ガリ……。 確かに鈍い音が、響いた。


「……殻……」 ぼそっと呟くと口の中の物をガリガリとやや乱暴に噛み、そのまま喉が鳴る音が聞こえそうなほど乱暴に飲み込んだ。
「吐き出せ、アンドレ。飲み込むな」
オスカルは慌てて言ったが、既に飲み込んだ後だった。
「……大丈夫か、アンドレ?」
「ああ、平気だ。大きさ的には大したことないはずだ」
「やはり……入っていたな……」
「ガレット・デ・ロワははずれだったけど、まさかこんなところで当りに出遭えるとは思わなかったな」
アンドレは、オスカルが使ったフォークで自分に食べさせてくれた事こそが王冠にも匹敵する幸運だと微笑んだ。
「うん。そうか……そうだな」
おどけるアンドレの言い方があまりにも優しくて、オスカルの恥ずかしさや申し訳なさも吹き飛んだ。
「そうだ、アンドレ」
「うん?」
今度は自分の分のケーキを食べながら、アンドレは横に視線を移す。
「王冠を当てたおまえの願いを叶えてやろう。何か言ってみろ」
「えっ? いや、もう……」
言いかけて、止めた。視線を先ほど自分が贈ったプレゼントに移す。
「オスカル……」
「何か思いついたか?」
「そのアトマイザーに入れるコロンを、今度俺に選ばせてくれ」
「えっ? それではおまえの為ではなく私の為にしかならないぞ」
「そうしたいんだ」
きっぱりと言い切るアンドレに、オスカルは黙って頷いた。

≪fin≫

昨年頂いた作品に続き,思いがけなくこんな美味しすぎるものをいただくことができました! 無意識ともいえそうなチョコレートの甘さ漂う,ふたりのさりげない日常の雰囲気がたまりません。
おれんぢぺこ様,本当にありがとうございました!