※オスカルの「女性の部分」に関しての描写があります。
"窓越しその2"に寄せて〜 by おれんぢぺこ様
呼ばれた気がして振り向いた瞬間、おまえの身体が馬上から崩れ落ちるのが見えた。
俺は慌てて走り寄り、かろうじておまえの肢体を受け止めた。
何があった!? オスカル……。
執務室の奥、仮眠室のベッドの上で意識を取り戻したおまえは、
「すまなかった……」
と、ボソッと呟くと掛布を頭まですっぽりと被ってしまった。
俺がよっぽど怖い顔をしているのか、おまえは俺に状況説明をする事を拒否しているように見えた。
だが、そんな形ばかりの抵抗がどんなに意味がない事かなんて、おまえ自身が一番良く分かっている。
掛布を被ったまま、少しくぐもった声でおまえが続ける。
「ちょっと油断してしまったようだ。我ながらみっともないと思う。やけに太陽が眩しい
と思って仰ぎ見た瞬間に、天と地がひっくり返った……。まだまだ修行が足りないな」
ふふ、と小さく笑う。
ほどなくおまえは上半身を起こし背筋をシャンと伸ばす。一瞬こちらを見て、俺が何か言うのを待っている。
両の手を掛布から出して、太腿の辺りでギュッと握りしめている。
「この期に及んで、なぜ俺にまで強がるんだ、オスカル?」
俺は本当に情けなかった。心なしか、自分の声が震えている気がする。
おまえの愛を得たと思っていたのは、間違いだったのか?
「なぜ、俺に甘えてくれないんだ?」
「違うんだ、アンドレ」
間髪を入れないおまえの返答に、なぜか少しだけ安心したが、
「何が"違う"だ? 馬から落ちるなんてよっぽどだぞ。しかも、おまえが……」
日頃、やれ「風邪をひいた」や「頭痛が……」などと言っている兵士連中に鍛錬が足りないだとか
何とか怒鳴っているおまえが、まさか自分の体調管理を怠るとは思えない。
「そんな怖い顔をしないでくれ、アンドレ。本当に私の修行が足りないだけなんだ」
尚も意固地になったかのようなおまえの言葉に、俺はつい怒鳴ってしまう。
「いい加減にしろ、オスカル!!」
「……嘘じゃないんだ。ちゃんと説明するから座ってくれ」
そう言いつつ、おまえがベッドの縁をポンポンと叩く。
何となく、振り上げた拳の下ろし所を見失ってしまった俺は、おまえのペースに巻き込まれ、黙って腰を下ろした。
少し手を伸ばせばおまえを抱きしめる事ができる距離だ。
「アンドレ……」
おまえが、その碧い瞳でまっすぐに俺を見つめる。
その瞳に吸い込まれそうになり、ここが執務室でなければ、今すぐおまえをこの腕の中に閉じ込める事ができるのに、
とさっきまでの怒りも、どこかに消えてしまった。
「……おまえも侍女から聞いたと思うが、昨日から月のものが始まった」
そう言うと同時に、また視線を俺から外す。
「う……ん……」
どう反応したら良いか分からず、俺の感情は今度こそ完全に行き場を失ってしまった。
そうなんだ。常におまえに同行している俺は、自分の都合とは関係なくおまえの月のものの時期まで知ってしまう。
オスカル付きの侍女から、
「今日から月のものが始まってらっしゃるわ。気をつけてさしあげてね」
なんて言われても、何をどう気をつければ良いのかなんて誰も教えてくれないから、まだ若い頃は、
そんなオスカルのそばにいる事自体が、すごく恥ずかしかった。ましてや十代の頃のおまえは
女であること自体に抵抗を感じていたから『俺は知っているんだぞ』なんて素振りは間違っても見せる事はできず、
俺自身がずいぶんと居心地が悪かったものだ。
おまえが快適にいられるように、とにかくそのテの本を読んだり、使用人仲間たちから情報を集め、知識だけは頭に叩き込んでいた。
曰く、イライラしたり急に落ち込んだりする事がある。曰く、貧血や腹痛で生活そのものに支障が生じる。
でも。おまえは全くそんな様子なんて見せないから、いつの頃からか、侍女に告げられても、了解とひと言答えるだけで、
この時期のおまえに対し俺が特に何かをしてやるなんて事は、ついぞなかった。
「この前までは……先月まではこの時期、おまえは知っているからしようがないとしても隊の連中にはどうしたって悟られないように、
ちょっと調子が悪そうな時には急きょ他の用事を入れたり、なるべく外を回る仕事はしないように気をつけて来たんだ」
おまえらしくないボソボソとした喋り方に、恥ずかしさをせいいっぱい隠そうとしている様子が見て取れた。
そうか。そう言えば、気まぐれにしてはあまりにも唐突に予定を変更するのは決まってこの時期だったな。
そんな事情があったのか。思い当たる行動がいくつか浮かんだ。何となく合点が行って、俺は黙ったまま、先を促した。
「でも。修行が足りないとつくづく思った」
また、俺を見つめる。
「今日は、実はあまり調子が良くなかったんだ。でも、おまえがいると思うと……そばで守っていてくれると思うと……
今までとは違うおまえが、すぐそばで私を見ていてくれると思うと……つい、いつも以上に無理をしてしまって、
気がついたら、ここにいた」
オスカル……!!
俺は、ここが執務室だという事なんかもうどうでも良くなって思いっきりおまえを抱きしめた。
そうだ。俺はおまえを守る事を許された唯一の男なんだ。
「く、苦しい。アンドレ……」
口ではそう言いながらも、おまえも抵抗しようとしない。
おまえは、今までどれだけの苦しみを一人で抱えていたんだ、オスカル。
女だと言うだけで蔑視され、謂れのない中傷を受け……それでもじっと一人で耐えて来たのか、オスカル。
何よりもおまえ自身が誰に甘える事も頼る事も許さず、男であろうとしていたんだな。
俺が守る。
オスカル。おまえを俺が守ってやる。
「このまま私を閉じ込めてしまいたいのだろうが……」
おまえは、せいいっぱい腕に力を込め、俺を引き離す。
「腹が減っては戦もできん。昼食を準備してくれないか?」
ああ……。そうだった。午前の訓練終了間際の出来事だったから、食事もまだだった。
「どうせ、おまえも馬鹿みたいにここにへばりついていたんだろう。一緒にどうだ?」
可愛げのない、いつものおまえの言い草に心からの"ありがとう"が込められる。
「ああ、そうさせてもらおう」
俺も、いつになく素直に返答し、急いで食堂へと向かった。
厨房のマダム達は、忙しいだろうか。何か体調に良い物を添えてもらおう、なんて思いながら、それでも、ああ、そうだ。
ダグー大佐に心配はいらないと伝えておかなければ、などと急に現実に引き戻される自分がおかしかった。
厨房のマダム連中にも隊長が倒れたと言う噂は既に耳に入っていたようで、食事を取りに行った俺は、あっという間に囲まれた。
「どうなんだい、アンドレ。隊長さんは?」
「あの細っこいお身体で、無理なさったんじゃないだろうね」
思い思いに投げかけられる質問を適当に交わしながら、それでも一番肝心の、
「貧血に効くような物が何かあるかな?」
訊いてみると、一番若いマダムが何か察したようで、
「干し杏子を持って行ってさしあげて」
と言い、厨房の奥へと消えて行った。すると、他のマダムが、
「それだったら、しょうがの砂糖漬けも一緒にどうだろうね」
「でも、隊長さんのお口に合うかしら」
またまた、文字通り姦しい様相になって来たので、俺はとりあえず二つのトレイを何とか両手に持って、執務室に戻った。
オスカル用のトレイの上には、様々な果物が追加されて載っている。
「しょうがの砂糖漬けは、紅茶に入れて」
と言われたアドバイスは忘れないように、おまえに伝えなければならない。
両手がふさがった俺がゴソゴソやっている音に気がついたおまえが扉を開けてくれた。が、
眼が点になったおまえを見て、俺は思わず必要のない笑顔を向けてしまった。
「何だ、そのピクニックのおやつのような山盛りは……」
「マダム連中のおまえへの愛だよ」
「……酒のつまみに良さそうだな」
……そっちに行くか?
「冗談だよ」
笑いながら、トレイをひとつ俺の手から引き離す。
「おまえの事だ。貧血に効く物とか何とか言って準備してもらったんだろう?」
「なぜ、分かった!?」
びっくりする俺に、おまえは意外そうな顔を向け、
「女の常識だ」
と、言い放った。
「えっ!?」
「聞こえなかったのか? 女の常識だと言ったんだ。特に私などは血の気が多い分貧血にもなりやすいだろうからな。
干した果物は、血の道にも良い」
そう言い切り、おまえは干し杏子をぽいっと口に放り込んだ。
おまえの口から、"女の常識"なんて言葉が平然と出て来るなんて意外だった。だが、おまえ自身が、自分が女である事を
きちんと受け止めている証でもあり、何だか嬉しかった。
食欲はあるようで、殆どを食べ終わったおまえは、
「今日は、もう外には出ない。ここで書類整理をする事にしよう」
自分のトレイを持って立ち上がった俺に、ボソッと呟いた。
おまえのトレイを下げようとすると、果物の皿だけテーブルに残し、
「せっかくの愛だ。いただいておこう。よく礼を言っておいてくれ」
「ああ、そうするよ。後から湯たんぽを取りに来いと言われた。必要か?」
「……う〜ん。今、紅茶のおかげで身体はポカポカだから、必要な時には自分で頼みに行くよ」
「そうか……。じゃあ、とにかく、無理はするなよ」
「ああ……」
「……少し、横になるか?」
もう少しおまえのそばにいる為の口実を探しているようで白々しかったが、投げかけてみると、おまえは即答した。
「いや、大丈夫だ。ダグー大佐を良く支えてやってくれ」
切り替えの早いおまえはさっさと執務机の方に移り、真後ろの窓を開けると椅子に腰かけ、もう俺の方を見る事もなかった。
風がそよとも吹かない。不快指数が高い。
かつて時間だけが過ぎれば良い的なダラダラとした訓練をやって来た連中も、オスカルの的を絞った指導のもとで
隊全体が効率的に訓練の成果を上げている。
そんな鍛え抜かれたはずの連中でも、小休憩もないままの2時間近い訓練はさすがに体力の限界だろう。
号令をかける将校連中でさえ集中力が切れかけている。この炎天下、右へ左へと良いように動かされている兵卒の奴らときたら尚更だ。
オスカルなら迷わずそうするだろうと思い、俺はダグー大佐の方に歩み寄った。
「分かっているよ、グランディエ君」
大佐は、「さしでがましい事ですが」のひと言さえ、俺に言わせなかった。
「もう、あと少しだから。隊長に切り上げる許可をいただいて来てくれないだろうか」
年の甲というか何と言うか。連中の体調を気遣いつつ、オスカルの様子も見に行かせようとするニクい配慮に感謝しつつ、
俺は急いで執務室の裏手に走った。
開け放した窓からおまえの金髪の後頭部が見え隠れする。
嫌いな文書整理も珍しく集中しているのか、走り寄る足音に振り向く事もない。
「オスカル!!」
息を切らしながら、おまえの名を呼ぶ。おまえが椅子ごと振り向く。
俺は何を子供のように全力疾走しているんだ。
窓枠に右手をかけ、息を整える。
おまえがクスクスと笑いながら、俺の左肩にそっと手を載せる。
「大丈夫か?」
まだ、呼吸の整わない俺を、おまえはただ笑って見ている。
「ああ。おまえこそ、大丈夫か? 調子はどうだ?」
「もう、大丈夫だ。ちょっと様子を見に行こうかと思っていた所だった。こう暑いと、連中もへばっているだろう」
「ああ。それで、今日はここまでで切り上げようって大佐が。許可をもらいに来た」
「勿論、異存はない。その分、明日以降鍛えてやるから忘れるなとつけ添えておいてくれ」
茶目っ気たっぷりにおまえが笑う。
本当に、もう調子は良いようだな。頬が少し紅になっている。
「じゃあ、そう言って来る」
「うん……」
返事をしたものの、俺の肩に置かれたおまえの手は離れない。それどころか、ギュッと力を込めて、まっすぐに俺を見つめる。
「……一人でいると寂しかった……」
俺の心臓は、素直に反応して、早打ちを始める。
オスカル、その眼は反則だ。今、この状況でそんな眼で俺を見つめるな。
一旦、視線を外したが、駄目だ。尚も感じるおまえの視線。
俺は慌てて、周囲をキョロキョロと見渡した。
風は吹かない。動きのない土は埃を巻き上げる事もない。
おまえが、少し俺の方に身を寄せ、眼を閉じる。
俺はこの身を思いっきり伸ばし、そして、そっとおまえにくちづけた。
「……今日は、早く帰ろう」
唇を離すと同時に、迷いを断ち切る為に窓枠から手も離した。
「うん……」
おまえが俯いたまま、返事をする。
俺は、少々ふざけつつ敬礼し、踵を返し俺の眼からおまえの姿を消した。
練兵場へと、走って来た道をゆっくりと歩いて戻る。背中におまえの視線を感じながら。
午後の日差しは、最高潮の暑さを記録した。でもこの頬の熱さは気温のせいだけじゃない事を俺は知っている。
おまえが弱さを曝け出せる場所。おまえが甘えられる場所。
そんな場所が、俺の中にある事を俺は今、誇りに思うよ。
俺が、おまえを守る。
だから、そう決めたんだ、オスカル。
≪FIN≫
絵自体はもうかなりかなり前に描いたものですが,おれんぢぺこ様が
見てくださって,妄想を膨らませてくださったという文です。
いや〜こんなにも膨らませることができるものでしょうか! 感嘆です。
おれんぢぺこ様,ありがとうございました!
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